夜、佐藤さんは時計修理のルーペを天体望遠鏡に換えて、 昼間は部品をみつめる右目で月を捉えます。佐藤さんが望遠鏡を向けるのは月の欠け際です。 太陽の光が横から当たるために月面の凹凸がはっきり見えるからです。欠け際は日々移り変わっていきます。 1日として同じ表情を見せる日はありません。

この日佐藤さんは写真を撮ろうとはしません。

「悪いですね。もう少し今日はいいと思ったんですが。フィルムの無駄遣いになりそうですね。」
佐藤さんが渋い表情を見せるのは月面の見え方が良くないためでした。
この日の月の表面はまるで水の底のように揺らいで見えます。 地球の大気によって引き起こされる現象です。大気の状態が悪いと月面の細かいクレーターは揺らぎの中に埋もれてしまいます。 大気の状態の良い日を逃さないこと。月面を拡大して撮るためにはこれが一番大切な条件なのです。 この1年は普段に比べて大気の状態が良い日が極端に少なくなっています。この日結局佐藤さんは一枚も写真を撮ることができませんでした。

 

 

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